校長講話 抄録 : 2015 / 12 / 7 (月)

  おはようございます。

  新しい一週間のスタートです。忙しい一週間でした。火曜日には東京へ日帰り出張。朝7:00に家を出て、4時間東京にとどまり、夜9時前には家に帰ってきました。東京も日帰り可能なのですが、さすがに疲れました。水・木と別の出張があり、生徒会選挙の立ち合い演説が聞けませんでした。残念でした。全員信任されたという報告を聞いています。みんなで作っていく生徒会にしてほしいと思います。

  さて、毎日平和を求めるための祈りを続けているでしょうか?そして毎日の昼の黙とう、何か心にとまるものがあるでしょうか?ムヒカ大統領のことばに始まり、ヨハネパウロ2世、そして先週はマザーテレサの言葉だったと思います。学校クリスマスまで続きます。意識して耳を傾けてほしいと思います。そして、私たちの日常生活において意志して何かを具体的に変えていきましょう。私たちは先月濱口さんから福島の現状についてお話を聞きました。知らないことばかりで、ためになったと感想を書いていましたが、私たちは福島の人たちと同じ体験をしていないので、時がたつと忘れていきます。次々と新しいことが私たちの日常生活の中に起こってくるからです。人の痛みを自分の痛みとする。なかなか難しいことです。

  英語に compassion [com(一緒に・共に)passion(苦しみ・痛み)]という言葉があります。人の苦しみを自分の痛みとする。平和を考えるとき大切なポイントです。2年生は沖縄研修の事前学習をしていますが、沖縄に肝苦りさ[チムグリサ]という言葉があります。かわいそうという気持ちを表す言葉ですが、単に感情レベルの同情とは全く異なるそうです。字のごとく"肝が苦しむ"のです。誰かの悲しみ苦しみを肝が受け止め、自らも苦しんでいく、そのような心の深みを表す言葉なのです。compassion・チムグリサ という言葉だけでも心にとめてください。日常生活で小さなことでいいのです。何か行動に移してみましょう。

  最後にカトリック新聞で目にとまった記事を読みたいと思います。定期的に長期間傾聴ボランティアを釜石ベースでされている吉田さんが書かれた”二本足の案山子”です。

 

 

わすれない

~復興支援の現場から~

  釜石で傾聴活動を手伝えないか、という一本の電話がきっかけで2011年7月以来、釜石に伺うようになりました。
  最近、仮設住宅にある人をお尋ねした折「今、一人で泣いていました」と赤い目をして迎えてくださいました。その方は、支えてくれる家族や親戚もいない孤独感、寂しさや不安に押しつぶされそうになっておられました。
  震災による大きな悲嘆や長期化する仮設住まいのストレスは、ずっと笑顔の裏に隠されています。そして、高齢化は病や死別など、いろいろな形で苦しみを生み出していると感じます。
  また、「仮設の方が良かった」という、つぶやくような声を聞くとき、復興住宅に移れば希望のある新しい生活が始まるという単純な状況ではないことを教えられます。
  私には、ただ苦しむ人と共に居させていただくことしかできません。だからこそ話を聴くことの大切さを感じます。その思いが「二本足の案山子」という詩になりました。これが私の「わすれない」だと思っています。

田圃(たんぼ)をいつも眺めて立っている

稲穂が風にそよぐ音を聴いている

稲穂が豊かに稔(みの)ることを願っている

稲穂が倒れそうなときには近づこう

そんな案山子のような存在でありたい

東京・板橋教会 吉田 俊雄

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