校長講話 抄録 : 2016 / 7 / 11 (月)

  おはようございます。

  私は、よく卒業生のことを思い出します。一人の男子卒業生。車が好きな生徒でした。だから進学し、資格をとり、現在車関係の仕事をしています。彼とは在学中、よく関わりを持った生徒の一人です。私は車について全く関心がないのですが、彼は在学中、よく車の専門誌を持ってきて、私に説明してくれました。ある時には絵を描いてまで説明してくれました。車のことになると話しが止まりませんでした。車のレース、F1レースのビデオまで持ってきて、私に見るようにと勧められたこともありました。実際、ものすごいスピードで走り抜けていくレーシングカーを見ながら、「なぜあのようなスピードが出せるのか、恐怖心はないのか」と感じました。

  見せてもらったある雑誌にスピードに関わる記事で、レーサーへのインタビューが載っていました。記者がした質問は、「なぜあんなにスピードが出せるのか。また、乗っていて恐怖心はないのか」というものでした。レーサーは、「確かに恐怖心がないと言えば嘘になるでしょう。でも、あのようにスピードが出せるのは、自分の乗っている車に性能の良いブレーキが付いているからです。ブレーキを踏めば、必ず止まるという安心感があるから、思い切ってスピードが出せるのです。」と答えていました。さて、私たちの毎日の生活は、目の回るようなスピードで動いています。一日に何度「忙しい」という言葉を心に思い、口にするでしょうか。それは、私たち大人だけでなく、皆さんや皆さんよりももっと幼い子どもたちにとっても同じだろうと思います(特に都会では)。

  すべての移動手段のスピードが速くなり、携帯・スマホの普及と共に、どこにいても連絡が取れ、インターネットによって、地球の反対側の地域の人たちとも情報交換が簡単にできる時代です。このように、ものすごいスピードの中で過ごしていながら、はたして「安心感のあるブレーキ」を持っているでしょうか。私たちはこれまで、人間存在としての理性とか良心、あるいは社会的存在としての社会的な取り決めなどがブレーキとなって、人間の行動を規定してきたのですが、最近の世の中で起こっていることに目を向けると、どうも「安全なブレーキ」を持っているとは言えない、怖い状況もあります。私たちの心にブレーキをかける。それも、「安心感のあるブレーキ」とは、聖書の言葉です。聖書は、

「人を教え、戒め、誤りを正し、あるべき姿に導く訓練をするうえで、とても有益です。」

  せっかくカトリック学校で学んでいる皆さんですから、折に触れて語りかけられる聖書の言葉に耳を傾け、自らの歩みを整えるために、「心のブレーキ」をしっかり持ちたいものです。期待しています。

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