校長講話 抄録 : 2013 / 5 / 13 (月)

 おはようございます。

 5月も半分が過ぎようとしています。5月1日の創立記念日には、今までと違ったタイプの若い神父様でみんながそれぞれメッセージをいただいたようで嬉しく思います。5月2日は第三回目の東日本復興支援ウォーカソン。歩く形での参加、全校生徒と先生によるスポンサー集めありがとうございました。スポンサー数は1200人を越え、募金額も100万円近く集まったと聞いています。私もこの年齢ですが、36.2km歩きました。最後の方は意地でも歩くぞという気持ちでしたが、各教会で信者の方が暖かく迎え、もてなしてくださったおかげで歩ききることができました。

 3日から6日までの連休では、岩手・宮城・福島県に行ってきました。足を引きずりながらの出発でしたが、今回の訪問の目的は大きく2つありました。1つは大船渡の漁業支援。ホヤの養殖の支援金を届ける事でした。仙台から高速バスで5時間。気仙沼、陸前高田の町をバスの中から眺めながらの移動でした。2年経つのに、目に見える形での復興は進んでいませんでした。まだ計画段階なのでしょうか?
 大船渡は2年前と比較すると家も建ちだしていましたが、財力がある方々でしょう。翌日、車で40分の小さな漁村、砂子浜に出かけ、支援金を手渡してきました。涙を流して喜んでおられました。みなさんによろしくということでした。その後、麻のロープを切り、それを三つ編にする作業を現地の方に教えてもらいながら、数人のボランティアで取り組みました。それを半年間天日干し、12月頃海に入れる。収穫までは4~5年かかるとのことです。方言で話されるので理解するのが大変でしたが、この夏のボランティアの打ち合わせもしてきました。

 もう1つの目的は宮城・福島県でした。実は私は今年の1月12~14日の休みを利用して宮城県を訪問しました。民間の放射能測定室を立ち上げたい。という支援依頼のチラシを見て、直接その方に電話し会ってきました。顔も知らない人に対していきなり電話するのですから、私としては勇気ある行動です。お仕事は陶芸家なのですが、子供たちを放射能から守ることに積極的に取り組んでおられる方です。
 子供たちの甲状腺検査の取り組みをされている若いお母さん、別の所ですでに測定室を運営されているスタッフ、教会の神父様など多くの出会いがありました。福島県の南相馬まで車で案内していただきました。地震・津波・放射能の現実を見たのです。私はそれ以来、個人的に小さな子供を持つお母さんたちに毎月ビニールハウスの野菜を買って送り続けています。

 今回が2回目の訪問で、新たな出会いもあり、日中は入れる地域、放射能のため無人の町を見てきました。避難している人達は30万人以上おられます。目には見えない部分を感じるセンスを持ちたいものです。
 知れば知るほど知らないことが増えていくことを改めて実感した連休でした。
 身体的にはガタガタですが、充実した時間が過ごせたなと思っています。

≪震災日記(七)≫

心の中をのぞいてみる
線量が下がり、そこそこに人が戻り、
一見あたりまえの日常がくりかえされるようになり
人はそれぞれ新しい生活をつみかさね、その中で喜び、悲しむ。
震災の出来事は、消したいがエピソード、忘れがたい物語となって、
それぞれの心の中に沈んでいるが、時はどんどんその上に降り積もる。
この先にあるかもしれない見えない恐怖を、決して忘れていはいないが
あまり語りたがらない。

時々都会へ出かけてみる。
華やかなイルミネーション、あふれる品々、きらめく人の群れ。
山の果てまで続く仮設住宅や、むき出しにどこまでも続く海岸線や
あちこちで申し訳のように行われている除染作業や
そうした風景を一時忘れる。
そして忘れたがっている自分に気付く。

帰りのバスが再び故郷に近づき、山を眺め、海を思う。
山は語らない。
海は語らない。
息も絶え絶えになりながら、気の遠くなるような浄化の時を
黙って受け入れている。

人間がしてしまったことは、まだ何も終わっていない。
この世に生きる束の間の一瞬
海のように、山のように、
私も出来る限りのことをして、浄化の時に身をゆだねよう。

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