学校概要

学校概要

名称

学校法人 聖ヨゼフ学園
京都暁星高等学校

理事長 小林圭児
学校長 玉手健裕
位置 京都府宮津市獅子崎30
課程・学科 高等学校 全日制・普通科

生徒数(2023年4月現在)

1年 35名(男子14名,女子21名)
2年 43名(男子20名,女子23名)
3年 38名(男子24名,女子14名)

全校生徒116名【男女比】男子58名:女子58名

創立者 ルイ・ルラーブ神父 について

京都暁星高等学校は、1907年フランス人宣教師ルイ・ルラーブ師によって創立されました。 明治のあの時代に海を渡ることを決意させたのは、キリストへの信仰と人に真の幸いをもたらすその価値観を伝えたいという情熱でした。 師の思いはここ丹後の地に、真理に基づき生命を育てる学び舎、116年の歴史を持つミッションスクールとして豊かに実を結んでいきました。

 

 
1857 ルイ・ルラーブ神父は、フランスのリヨンに近いサンテチェンヌから約40分、丘陵地帯をのぼりつめたセントジェルジスという村で、父・母・そして10人兄弟の四男として産声を上げた。父は農夫として大家族のために一生懸命働き、貧しいながらも幸せな日々を送っていたが、ルイ8才の時父は急逝。父亡き後は、母が子ども達の手を借りながら、農業で生計を立て、日曜日には村の教会で祈りを捧げた。 
1873
(16才)
キリスト教禁制が解かれ、ヨーロッパから多くの宣教師が日本に来日。日本の26聖人の殉教の話は、多くの人々が極東の国、日本を知るきっかけになり、ルイも日本への憧れを持つようになった。
1875
(18才)
ルイは司祭になるためパリミッション会に入会し、神学の勉強を始めた。
1885
(28才)
司祭に叙階され、任命地は日本と発表された。 「当時、家は極めて貧しく、日本への旅立ちは後ろ髪を引かれる思いだった」と神父は後に回想している。マルセイユを出発し、約2ヶ月余りの船旅で神戸に到着。京都三条教会で日本語を学んだ。
1888  山陰地方の布教を命じられ、敦賀・小浜・高浜・舞鶴へ。行く先々、外国人に対する警戒心と仏教勢力が強く、布教は困難を極めた。その後、宮津に居を定めた。
1896
(38才)
宮津に来て8年目、宮津天主堂(現カトリック宮津教会)落成。
1907
(50才) 
 当時の宮津町長の要請もあり、教会の敷地内に裁縫伝習所を開設。
1927
(70才)
丹後大震災で丹後地方は壊滅的な被害を受けた。
​神父は救済のために東奔西走し、岩滝に無料診療所を設け、復興のために、全力を尽くされた。
1936
(79才)
暁星幼稚園を設立された。
1941
(84才)
ルイ・ルラーブ神父帰天。享年84才でした。神父様は56年間一度も祖国フランスに帰ることなく、その生涯のすべてを日本人への愛のために尽くされた。
病床で神父様は「私が死んだら惣村の教会墓地に葬って、墓標には“御国の来たらんことを”と書いてください。
私は必ず墓の中から働きます。」とおっしゃられていた。

沿革

1907
(明治40)
ルラーブ神父が女子教育の場として、教会敷地内に宮津裁縫伝習所を創設。 
1932
(昭和7)
創立25周年記念事業として、宮津市柳縄手で新校舎落成(宮津暁星実科女学院)ルラーブ神父は暁星をブルトン司教(パリミッション会・訪問童貞会の創立者・指導者・暁星教育の創立者)に託される。
学校の施設と経営を訪問童貞会(現 聖母訪問会)に移管された。ルラーブ神父退任。シスター・ジョゼフィン岡はじめ校長就任。

  
 
1961
(昭和36)
暁星女子高等学校と改称。
1968
(昭和43)
創立60周年事業として寄宿舎(聖母寮)竣工。
1982
​(昭和57)
教育課程の改訂(福祉を導入・選択授業増える)。
1992
(平成4)
創立85周年を祝う。宮津会館にて”共に祝うクリスマス”を開催。
1994
(平成6)
教育課程の改訂”いのち豊かに”体験学習にもとづく教育にも力点をおく。
2003
(平成15)
宮津市獅子崎に新校舎完成移転。京都暁星高等学校と校名変更。
男女共学普通科総合選択制を導入。
2007
(平成19)
創立100周年を祝う。
カトリック京都教区大塚喜直司教による創立100周年記念ミサ    (5/1)
料理研究家辰巳芳子氏を迎えてホームカミングデイ    (7/1)
記念式典並びに日野原重明氏の記念講演    (11/1)
2012
(平成24)
京都暁星高等学校として10年目を歩む。